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若狭・小浜市の釣り情報

若狭・小浜市の釣り情報。釣具屋「マーメイドつり具」が、春夏秋冬、季節を問わず旬の現地情報をお届けします。

店長若き頃の釣りある記 「河は眠らない」に魅せられて

<雪も無ければ困る>
今年は暖冬と言われていたものの1月下旬より冬型が強まり2月に入ってからは断続的な降雪、そして2/15から降出した雪は3日間続きこの冬一番の積雪となった。

雪が降れば釣具屋もアガッタリ、開店休業の日々となるが それも覚悟した上での事 ただ言えるのは、暖冬の年よりそこそこ雪の有った年の方が春先において魚の乗っ込みが良いのではないかという事でひたすら3月.4月に期待を寄せるところである。(主観的な考え)
以前、年配の漁業関係者から聞いたところによると 暖冬の年にはスズキやチヌはエサを捕り過ぎた結果 身に脂が付き過ぎ 春先には食欲不振となる。
そして夏から秋ごろには目に脂の膜が張って見えにくくなりほとんどエサを喰わなくなる との事である。
そんな暖冬が続くと魚釣りはどうなるのだろう?
よくよく考えてみれば心配な事なのである。


<行けば釣れる!>
この時季においてできる釣りは数少なく さすがの我等家内もほとんど
暫くの休業と言える。
安易に メバルなら行けば釣れる てな事で行ってもそう甘くはないもので1時間もしない内に敗北となっている様である。

しかし、このような状況の中 せっせと釣りに行き爆釣一歩手前の人がいる。
高浜町に住み電気空調関係の仕事をしているK氏、我等家内の一人でボートジギングを得意としている。
行先は決まって 音海防波堤、ジグでサゴシを狙っているという。
今や有名になってしまい釣人も多いが今までに はずれ は無いとの事である。

釣果、情報の方は  半日で50cm前後のものが5-8尾 2桁の時もある
            凪の時は早朝のみとなる
            条件の良い時でも午後3時以降はあまり釣れない
            ジグは30-60gのシルバー、ピンク系がお勧め
             P-BOY;ブルー、ピンク
             シマノ.スピンテール;オレンジゴールド
                       パールピンク など
           場所は防波堤先端の内向きがBEST
                           となっている。
K氏にとっては 凪なら仕事が忙しく 大荒れならジギングで大忙し 
どちらが忙しくても 喰うのには困らない と何とも結構な話なのである。

K氏に限らず 行けば釣れる!と頑張る人達は船釣においても同様である。
たとえ穏かと言っても冬の日本海、凪のはずは無い うねりも有れば風も有る,そんな中、狙いを定め確実に魚を釣って帰ってくるとは本当に勇ましい人達なのである。
出漁できれば小浜沖ではメダイ、ヤリイカは好釣である。

遊漁船 わかさⅡ は2/10と2/19に出漁、メダイが爆釣、2日間で50-60
cmのものが100尾を超えている。(浅グリから県漁礁にかけて)
色付きイカ切り身(赤、黄)のエサが特に効果が有ったと言う事であります。

また、2/10には小浜市在住のH氏は小浜沖 高手礁においてジギングで50cm級のハマチを40尾以上 と入れ食い状態であったとの事であります。
この日、午前中は サワラ1尾 と寂しい釣果であったが午後より爆釣が始まったと言う事で、同氏にとってジギングはデビュー戦であったそうで今後が楽しみと かなり興奮気味に語っておられました。


<釣りたいなら行け!>
「行けば釣れる」がまったくと言って良いほど当てはまらない釣りもある。
いつごろ、どこに、何匹いるのか、何を喰っているのか などという事がほとんど不明であるが故に何度か挑戦してもノーヒットとルアーロストの連続で諦めてしまうのがほとんどである。しかしながら、その白銀に輝く大きく美しい魚体と精悍な顔付、ジャンプ、ローリング、テールウォークを繰り返す強いシャープな引きは釣り人の心を魅了して止まないそれは サクラマス である。
ルアーマンにとっては永遠の課題と言っても過言ではないサクラマスについて私自身が経験した事や知り得た事を言及しておこうと思います。


私自身、南川沿いの農村で生まれ育った為か幼少の頃よりサクラマスとの関わり合いは多かった。子供の頃と言えば、40年以上も前の事となる。そのころは4kg位のマスがゴロゴロと沢山いて投網で獲ったり モリで突いたりして遊んだものでした。
冬の間といえば堤防でスキーをしたり鳥を獲ったりしたぐらいでしたが、春休みともなれば自家製のモリを持って堰堤下に並ぶテトラまで通い詰めたものでした。

テトラに這いつくばり、薄暗い中を覗くと あぶらビレから尾っぽまで位だけが見える 頭隠して尻隠さずのマスがいたる所に居たものでした。
それをモリで狙う事、約1時間、確実と言ってよいほどマスは動きを見せた。
隙間から出て流心の方へと、そして 10分ほど経つとまた同じ所へ戻って来る。
日中はそのパターンを繰り返すという解りやすいものでした。
そして、全体の魚影が見えたところで 頭に向かって発射、確実と言って良いほど GETとなった。
2-3尾も獲れば、あとは次の日の楽しみ としていた。
こんな事も大人連中にバレれば最悪となり確実に横獲りされた。
投網や水中銃、ついにはバッテリーまで持ち出し大騒ぎとなっていたようである。
高校生となった頃は投網でかなり獲った記憶がある。
月夜の夜ともなれば絶好調で浅瀬や堰堤のタタキで寝そべっているようなマスを まさに拾って歩く ようなもでありました。

はたして、何尾のマスを獲ったであろう?
どのくらいの大きさであったのだろうか?
今となっては 残念ながら 明確でない。
ただ、祖父が獲ってきたマスを天秤で量り、「一貫目」とか「二貫目近い」とか言っていたのは,はっきりと覚えています。


などと今更 昔の事を言っても 「ホンマかいなー?」と疑われるのがオチであろう。
事実、マスの数が減ったというのは人から言われるまでも無く河で釣りや投網をしている自分自身が最も痛感している所である。
しかしながら、年配にもかかわらず現在もマスの投網漁をしている人が何人かいる。
彼等は マスは少なくなったが毎年サクラウグイが上る頃、20尾ぐらいは捕る と言うのである。
また、小浜湾内の刺し網にも毎年、4月ごろになると マスが数十匹掛かる との情報もある。
そして、これを思えばマスもまだまだルアーフィッシングのターゲットから外す事はできないと思っているところである。

私自身ルアーを始めてかれこれ22年ほどになる。自分が経営する喫茶店で 開高 健の「河は眠らない」のLD(当時はDVDなど無かった)を観て感化された事に始まったのである。
夜な夜な釣り仲間が集まりLDを肴に夜明け近くまでワイワイと釣りの話に花を咲かせたもので、そんな連中がサーモンフィッシングへと行動をとって行くのには それほど時間はかからなかったのであります。誰もが未知の世界である ルアーフィッシング、教材となったのはLDに写る開高氏の姿と いつしか加わった 釣りきち三平 の漫画でありました。
そして ターゲットはキングサーモンやレッドサーモンであるはずはなく当然の如く例のマスとなったのであります。

Salmon fishing is very difficult. It needs patience・・patience・・patience.
「サーモンフィッシングは忍耐・・・忍耐の連続である。堪え性の無いせっかち者では釣れない。
しかし アタリは一瞬、合わせはせっかち者でなければできない。絶対矛盾的自己同一と言う」

何かクサイ台詞であるが 何となくすべてを物語っている言葉とも思えた。 
女房殿から「いい歳して子供みたいに・・・アホとちゃうか?」と言われつつも、氏の言葉を胸にアラスカのキーナイ河に立った気分で22年前の2月4日早朝、猛吹雪の中、北川河口で初めてスプーンルアーを流心目掛けて投げつけたのであります。これがルアーのデビュー戦となったのでありました。


初めて使ったルアーは6個で450円の色とりどりの子供のおもちゃか安物のアクセサリーのような物でせいぜい5gぐらいの軽い物であった。
底に沈めても巻くとすぐに水面近くまで浮き上がってしまう、「こんな物なんか?・・・何か違うような・・・」
と思いつつ2時間、竿は空を切るばかりでありました。

「開高さんと三平君なら・・・」  「・・・確か 底の石をなめる様にと・・・」
ルアーを上流方向に投入、しばらく待って巻き始めた、ラインがピンと張ってじんわりと重い、掛かりであった。痛恨のルアーロストが3連続。「底の石をなめる様にとは・・・?」
ルアーを投入後、竿を立て糸が先に流れない様テンションを少しだけ張ってみた。
コンコンと石に当たる感触が有った。すぐに ゆっくりと巻き始めた。時折 底をする感触が有った。
しばらくすると底をする感触が消え水の抵抗だけが伝わって来る 水を掴んだ と実感した。
ルアーが浮かび上がったのは予想以上に自分に近い所であった。
「これなら いける!」と確信し下流方向へと移動しながら繰り返す事になった。

そして 30分程経った頃、リトリーブ途中 「ゴン ゴン ゴン!」と  確実な魚信であった。
・・・合わせられなかった ルアーを上手く泳がせる事に夢中になり、せっかちな自分が何処かへ消えていたのであろうか  悔やむ間も無く同じ場所を狙い撃った。水面に影を映さぬよう一歩下がった。

何も考えてはいなかったと思う。手や肩が踊り出していた。
ゆっくりとリトリーブするも何の魚信も無い。
そして赤と銀に光るルアーが薄っすらと見え出した時、水中で何やらギラッーと白く光ったと思いきや 竿先がいきなり水中へと引き込まれたのであった。

確実なバイトであった。 先程と違い反射的に竿をしゃくり上げた。大きく弧を描く竿、滑り出すドラッグ 瀬を遡る道糸、重く強い引き、繰り返すジャンプとテールウォーク、完璧なフッキングであった。
先程まで踊りまくっていた手と肩は妙に静まり返っていた。

強い引きに翻弄されつつも15分位でランディングに成功、静まり返っていたはずの手や肩、ついには足や腰までもが 要するに全身が笑い踊り出し痙攣に近い状態となり猛吹雪の中、釣り上げた魚を抱かかえたまま1m近い積雪の上で大の字になり10分間ほど天から落ちてくる雪を見ていたという記憶があります


大体の要領を得て、その後もヒットが続発、初日にしてなんと、計11尾を釣り上げたのでした。
このようにして デビュー戦は大勝利となり その夜、店でマスのムニエルを肴に大騒ぎとなったのは言うまでもない事であります。
ただ、いまひとつであった というのは 釣れたのは サクラマスではなく、全部がタイガートラウトであったと言う事でありました。
上流の管理釣り池からの脱走したものが本流で野生化したもので獰猛な面構え、フィッシュイーター独特の激しい捕食、パープルシルバーに輝く魚雷のような体系は図鑑で見るそれとはかなり違うものであった。

その日以後は南川の事は忘れて北川Onlyとなり、誰しもがタイガートラウトを意識した釣りをするようになり、確かに未開の釣りであった様で ちょっとした溜まりでも確実に釣れたものでした。
この魚、よほど赤色の物に興味が有るのか12g位の赤-シルバー、赤-ゴールド、オレンジ-ゴールドのルアーによく喰らい付いて来たものでした。

突然と降って沸いたようなトラウトブームの中で、私自身の釣果は、初日の11尾を含めおそらく30尾を超えていたであろう。
大きさで言えば、最長寸は初日の第一匹目の 74cm-4.2kgで 67cm-3.4kg 61cm-2.8kgとつづくものでありました。

しかし、このような好ブームの中においても 自分自身としての最大の課題を忘れる事はできなかった。
タイガートラウトを釣れば釣るほど なぜサクラマスが釣れないのか? と不思議にさえ思えた。
誰に尋ねても、何を調べても明確な答えを得る事はできなかった。
やはり、忍耐・・忍耐の連続なのか。トラウトブームの中で、いつしか氏の言葉も影薄くなっていたのは事実でありました。

釣りたいなら 行け! 何事も初心を忘れてはならない! 信じた事を疑えば後戻りするだけだ! アタリさえ有れば絶対に獲れる!忍耐あるのみ!
と奮起、いつしかウェストポーチの中のルアーも増えて 子供の頃のホームグランド、南川をターゲットに釣行を重ねる事となったのであります。

いく度も釣行を重ねた末の 3/4、この日は 今は亡き旧田中屋釣具店(現在のマーメイドつり具)店主、長井氏と共に釣行、前日降った雨のため南川は増水し笹濁りという かつて無い最高の条件であった。
ガイドにラインを通している作業中の長井氏の横で早々と第一投、ルアーは Abu-Toby,12gのBGL 朱点を蛍光ピンクの塗料で上塗りした物でトラウトに対しては実績有る Trust-Oneであった。


リトリーブも終盤にさしかかった時 「ゴン ゴン」とテンポの良い魚信が、すかさず大きく合わせた、南川では初のアタリであった、
竿は満月、ずっしり重く魚信が伝わって来る、流心まで一気につっ走り強烈に引き込みながら流れを遡っていく、かと思えば方向を変えこちらへと向かって来る、今までに無い機敏な動きである、そして目の前1m位の所で水面を割り飛び出し ジャンプ、テールウォークと白銀の舞を何度も見せてくれた末、長井氏が差し出したネットに収まってくれたのは 紛れも無く Masu-Salmon サクラマスでありました。
その後、長井氏が Dancer- 12gの赤で1尾 私が さらにもう1尾 と続き、長井氏はデビュー戦を勝利で飾り、私は課題を無事に果たす事ができた。
魚寸は 65cm、62cm、56cmであったと記憶している。

永遠の課題となることも覚悟していた サクラマスのルアーフィッシング 、何の前触れも無く その時が来て 見事 翻弄されることなく冷静にその課題を果たす事ができたのは、氏の言葉とタイガートラウト、そして今は亡き釣友 長井氏のおかげであると心より御礼申し上げるところであります。
何かを一生懸命やれば 周りのものが何がしか力を貸してくれる様になる のかと、あの日から22年経った今日この頃、ほのぼのと思うのであります。
また、後で長井氏から聞いたところによると、初めて私がサクラマスをヒットさせた時 やりとりしていた時も 釣り上げたマスの尻尾を握りバンザイ、バンザイとはしゃいでいた時も ずっと私は しりもちをついたままであった と言う事でした。

その年には、北川 南川を駆け巡り、計8尾のサクラマスを釣ったと記憶している。
その後は、毎年同じ様なもので、12年間ほど続いたと思う。
0尾の年は無かったが、せいぜい2-3尾の年は有ったと思う。
ルアーは、ピンク/シルバー、ダークブルー/シルバー、青アワビ/シルバー、白アワビ/シルバー、オレンジ/ゴールドの12g前後がよくヒットした。
3月中旬から5月の頃は、活性が上がり瀬に着くことも多いので小型ミノーが有効であった。
水の湧き出ている深場、トロ場に居着きながら のらり くらり と溯上していくようであるが、雪解けなどで増水すると一気に溯上速度が上がるようである。
1月、2月、春先の釣れる時間帯は昼前後が多く 3時ごろまでの事が多かった。
1時間か1時間半に一度ぐらい流心などへ出て行動するようであるが一回当たりの時合いは、10-15分と比較的短く、堰堤下などで居着いたものは比較的狭い範囲を同じルートで行動しているようである。
3月中旬、4月の時合いは、朝夕となり、ホロシールを貼ったルアーに分があった。 夕方は 赤/シルバー より オレンジ/ゴールド が良かった。
朝、と言っても 10時ごろまでは可能性があるので油断はできないものである。

ここ10年余り、サクラマスを釣りに行っていない。
釣れなくなった訳ではない。
興味が無くなった訳でもない。
病弱になった訳でもない。

渓流釣りやメバル釣り、穴釣りに夢中になったという事もある。
河はいつもそこにある という安堵感があるのかもしれない。
人は あまりやらない釣りだからマスがもっと増えるのを・・・ と欲深いのかもしれない。
考え過ぎて 河を主役にしてしまい 偉大であるなどと思っているのかもしれない。
ただ、今年こそは と毎年思っているのは事実である。

        氏、曰く いつの日か 魚は死ぬ
               釣り人も やがては死ぬ
                   されど 河は眠らない

   解釈は・・・As you like.



     MEDAI 2.11 009


MEDAI 2.11 008


MEDAI 2.11 007
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